ナチス・ドイツの同盟国だったソ連
6年の間にころころと立場を変えたソ連 シリーズ!日本人のためのインテリジェンス・ヒストリー③
一九三五年、ソ連は第七回コミンテルン大会で人民統一戦線を提唱し、「ドイツと日本こそが主敵である」と宣言しました。
ところがその四年後の一九三九年八月二十三日、ソ連は独ソ不可侵条約を締結して、英仏両国を非難するようになったのです。
その二年後の一九四一年六月二十二日、ソ連はドイツに宣戦布告し、再び「ナチス・ドイツが敵だ」と非難したのです。
「ドイツこそ敵だ」→「英仏が敵だ」→「やはりドイツが敵だ」と、わずか六年の間にころころと立場を変えたのがソ連でした。信義というものが全く通用しないことがよくわかります。
そしてホワイトが「モーゲンソー財務長官宛覚書」を書いた一九四一年五月の時点では、ソ連にとって英仏は敵側でした。ホワイトが覚書に盛り込んだ英仏批判は、ソ連の方針に忠実に一致していたわけです。
(『日本は誰と戦ったのか』より構成)
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